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■ ” なの。” とは?    文:さわたりけんじ

 

 魅力的な造形というのは、わけもなく強烈に惹かれる。

 明らかに言葉で訳せない、眼に見えているカタチ以上の魅力が、何かがそこにある。

 不思議なことだ。

 このことを昔から ”魂が宿っている” と一般的には言う。


 しかし”目に見えないし言葉に出来ない魅力” というとオカルト的なので、

 ”目に見えないほどの小さな小さな違い……
  ナノレベルで何かがあるんじゃないのか?”
 

 と、わたしは考えることにした。

 

 どうやったら魂が宿るのか、

 ナノレベルで、魅力を付加できるのか。


 わたしなりの考えを実行するチームとして今、”なの。” を立ち上げた。

 

  このまま、わたしの考えを、より具体的に話しておこう。

 

 好い造形というモノは、赤ペンで修正などと言うくだらない手段ではまったく生まれないし、第一、上からの視点でチェックなどしたら、ただ萎縮するだけで何一つ良いことはない。

 これらのことは、伸び伸びとした生きた造形を作れなくしてしまうし、さらにはなんで造形をはじめたのか、最初の気持ちすちわからなくしてしまうかも知れない。

 それ以上にやってはいけないのは、メンバーへの善意のアドバイスだ。
 まさに言語道断、まったくを持って余計なお世話、おこがましいというものだ。


 なら、どうするのか?

 本人が本当にわからない、苦しんでいるときに最も効果的なこと。

 それは、

 ”オレは余裕でわかってるけどね、と、

  目の前でニヤニヤしてあげる” 

 
ことだ。 

 企画、プランナーである、さわたりけんじの唯一の出番がこれだ。
 

 好い造形を作り上げたければ、

 造形者本人が「作りたいと思ったきっかけ」を忘れずに

 手を抜かずに作ればいい。

 

 ただそれだけだ。
 その、きっかけを本人に思い出させるだけで、十分だ。

 必要なことは造形者の気合と汗、そして作りあげようとする意地。

 金銭に変換不能なほどの無辜の情熱と、つかめないものをその手につかみ、触れたいという肉欲と、まだ無いという現在への底知れない憎悪、そして渇き……いずれも目に見えないが確実に存在する正負混在の生々しい泥臭い感情。

 こうした造形者の心と体と情、これら全てがぶつかりあい、混ざり合い、言葉で追えない、魂としか言いようがない、

 ナノレベルからの造りを変えていく。

 

 もっと、はっきりと言おう。
  造形者以外全ての人間は、造形者を信じること以外にやることはない。

  誰も彼も、黙って見ているしかないのだ。
 ガレージキット、またはガレージキット的、とされる造形表現は、造形者個人の心の叫びそのものであり、そのことを許容し、楽しむ場なのだから。

 

 これがチーム なの。 の好いフィギュア造りの理屈だ。

  この理屈を実行できる環境づくりへの第一歩が ”なの。” である。
 妥協もあるだろうが、これらのことを可能な限り現実化し、好いフィギュアを増やしていきたい。


 結果は時間が出すだろう。

 

 最後に。
 プランナーとして、送り出す側としてやることが、もうひとつ。

 「造形者の意思を、フィギュアを、写真に撮ること」

 これこそがなによりも、他のすべてを差し置いても重要なことだ。

 これが99であり、他は1と言っていい。

 なぜか?

 ほとんどの方は写真を見て悪いと思ったなら、実物を見てはくれない。 かかわった人間のあらゆる努力、思い、意地が、写真1枚ですべて砕け散る。
 何もかも、が無駄となる。

 何よりも見てもらえない造形となることを、造形者が許容するとでも思っているのだろうか?

 なぜ、このことをあまたの企画者は、全く、まるで理解していないのか、理解に苦しむ。


 わたしは、これこそが重要だと、なの。の活動を通して伝えていき、造形者の無念となる想いが少しでも減るようにしたい。
 

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